私は②の立場に共感しますが、さらに踏み込みたいのは、「なぜ妊娠出産の時期を“後回し”にせざるを得ない社会なのか?」という構造的な問いです。
現代社会では成果主義が当たり前で、「役に立つ人」が優遇されがちです。その中で、妊娠出産を選ぶ女性は、どうしても「成果を出してから産む」ことを求められます。職場でこうした空気を感じたことのある人も多いのではないでしょうか?
「私は普段はちゃんと働いています。今は一時的に妊娠出産でパフォーマンスが落ちますが、すぐに戻りますのでよろしくお願いします。」
このような“妊娠の許可”を得るためには、あらかじめ「実績」を積んでおく必要があります。そのためにキャリアを優先し、妊娠出産を後回しにせざるを得ない——そんな構造が存在しているのです。
つまり、出産の遅れは「選んだ」ものではなく、「選ばされた」結果であるとも言えます。その結果として不妊治療が必要になる人がいるのなら、それを「自己責任」と断じるのはあまりにも冷たく不公平です。
妊娠出産は、成果主義や労働優先の社会の犠牲になってはいけません。社会がもっと寛容になり、「成果が出ていなくても安心して産める環境」を整えることが、本当の意味で少子化対策につながるのではないでしょうか。
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