私たちの身近で、いつの間にか“共存の限界”が生まれていないでしょうか?
地域の暮らしの中で、「なんだか最近、暮らしづらい」「ご近所との関係が難しくなった」と感じることはありませんか?それが外国人との生活上の摩擦だとしたら、誰に相談できますか?
日本各地で、外国人との共存に関する“静かな衝突”が起きています。 これは決して、根拠のない外国人ヘイトから生まれた現象ではありません。現場に住む人たちが「生活上の違和感」や「継続的な摩擦」を経験し、声を上げた結果です。
たとえば、埼玉県川口市では、トルコ系クルド人の若者たちによる深夜の騒動や交通トラブルが相次ぎ、地域住民の生活に支障をきたす事態が報道されています。住宅街でのバーベキューや音楽イベント、公共の場での大声やマナー違反など、いずれも「日常の中で小さな困りごと」が積み重なったものです。
これらの問題は、警察や自治体が直接的に取り締まるには曖昧すぎることが多く、「地域の我慢」に委ねられているのが現状です。
さらに、「外国人を批判する=差別だ」という風潮も、声を上げづらくしている一因です。実際には、外国人であろうと日本人であろうと、生活ルールを守らない行動に対して不満を抱くのは自然な感情であり、それを言いづらい空気こそが、社会の制度的疲労を表しています。
制度が想定していたのは「人数が少ない状態」での外国人の存在でした。しかし実際には、外国人労働者や技能実習生、留学生などが急増し、一部地域では学校の児童の半数以上が外国にルーツを持つという現象すら起きています。彼らの母語教育、文化の違いへの対応、生活支援など、本来であれば多大なリソースを要する施策が、地域や学校の現場に丸投げされているのが実情です。
本来、共存とは理想ではなく、制度設計と運用によって成り立つものです。その設計が曖昧なまま「とにかく受け入れる」という姿勢が続けば、摩擦が蓄積され、社会全体の疲労感が高まっていくのは避けられないでしょう。
■参考:
朝日新聞「川口市でのクルド人問題」2023年報道
産経新聞「外国人住民と地域の摩擦」特集記事(2022)
#移民問題 #共存の限界 #生活者のリアル
【コラム】【移民と共存のリアル①】
摩擦と制度疲労――日本各地で起きている“静かな衝突”
