近年、少子化対策として「子ども一人産むごとに一千万円を給付する」といった、大胆な提案が話題になることがあります。もし本当に実現すれば、経済的な不安が理由で出産をためらっていた人たちにとって、大きな後押しになることは間違いありません。
しかし一方で、このような高額給付に対しては、いくつかの懸念の声も根強くあります。今回は、賛否両論の背景を整理しながら、私自身の立場を述べたいと思います。
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■「給付金目当てで産む」「育児放棄」への懸念
まずよく聞かれるのは、「給付金目当てで子どもを産み、育児を放棄するような親が出るのではないか」という声です。現金を一括で渡すだけでは、子ども本人のために使われる保証がないという懸念も理解できます。
また、「親が浪費に使ってしまい、結局子どものためにならないのでは?」という意見もあります。こうしたリスクは、これまでの現金給付政策でもたびたび指摘されてきました。
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■「貧困の再生産」につながるのでは、という指摘も
さらに、根深い問題として、「貧困家庭が多くの子を産むことで、結果的に貧困が再生産されるのではないか」という懸念もあります。
つまり、経済的・教育的に十分な環境を用意できないまま子どもが増えることで、その子どもたちが十分な学習機会や進学のチャンスを得られず、また親と同じような困難を抱えて生きていくことになるのではないか、という社会的な危機感です。
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■私の立場:大切なのは「産んだ後」の社会の設計
私は、こうした懸念を軽視すべきではないと思います。しかしそれでも、現金給付そのものを否定するのではなく、段階的な支給や用途の制限、子ども本人への直接支援を組み合わせるべきだと考えます。
「貧困層が子を多く産むこと」が問題なのではなく、「どんな家庭に生まれても、子ども自身が未来を選べない社会」であることこそが問題なのです。
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■必要なのは「子どもを育てる社会の力」
一千万円を給付するのであれば、以下のような取り組みをセットにするべきです:
・教育や医療の無償化とバウチャー制度の導入
・就学前の保育環境の整備
・貧困家庭への育児支援員の派遣や家庭訪問の強化
・子ども本人に割り当てる「チャイルド・バウチャー」の仕組み
・学び直しや母親の再就学支援など、親の側の支援も整えること
給付金が「産ませる」政策であるなら、それと同時に「育てられる」「成長できる」社会の仕組みがなければ、ただの一過性のバラマキに終わってしまいます。
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■まとめ:子どもを社会全体で支える制度へ
子どもは親だけの責任ではありません。社会の一員として生まれた以上、その成長に社会全体が関わるべきです。
一千万円の給付をめぐる議論を通じて、私たちは「お金の話」だけでなく、「社会が子どもをどう支えるか」という根本の課題に目を向けなければならないのではないでしょうか。
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■参考文献・資料
1. 内閣府『少子化社会対策白書』
2. 日本財団『子どもの貧困に関する意識調査』
3. OECD『子どもと若者のウェルビーイングに関する報告書』
4. 東京都『養育費・子どもの生活支援に関する実態調査報告書(2022年)』
5. 荻上チキ著『未来をつくる権利』日本評論社(2022年)
6. 子ども家庭庁『子ども政策に関する統計データ集』
7. 国立社会保障・人口問題研究所『現金給付と出生率に関する研究』
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