【ニュース/コラム】「頼れ」と言われても頼れない――事件・判決の事実と、制度の“空白”をめぐる現実

2025年11月28日、神戸地裁姫路支部は、重度の呼吸障害があり痰(たん)の吸引が必要だった当時8歳の娘を自宅に残して外出し、翌朝までに娘を窒息死させたとして保護責任者遺棄致死罪に問われた母親に対し、懲役2年8か月の実刑判決を言い渡しました。

裁判では、医師らが「入眠時や安静時であっても吸引が必要であり、吸引を怠れば生命の危険がある」と証言し、裁判長は「翌朝まで帰らないつもりで外出した以上、遺棄の故意があった」と認定しました。判決は母親の負担を量刑の参考にしたものの、実刑が言い渡されています。

この判決で裁判長は被告の置かれた過重な事情にも言及し、「ひとりで頑張らないで」「助けを求めてほしい」と述べて被告を説諭しました。しかし、その言葉が当事者にとってどれほど実効性のある助言であるかは、別の問いです。判決は事実関係と責任を明確にした一方で、”頼れ”という発言が指し示す「具体的な頼り先」が現実に機能していたかどうかについては踏み込んでいません。




事件の事実関係(詳細)

発生は2023年1月。被告となった母親は自宅で気道確保のためにたんの吸引が必要な娘を残し、外出しました。娘は自力で気道を確保できず、翌朝までに窒息死しました。公判では、たんを排出できない状態が続き、定期的な吸引が必要だという医療側の証言が重視されました。

裁判の結論は「保護責任者遺棄致死」。裁判長は被告の過重負担を認めつつも、「たん吸引をしなければ生命の危機が生じることを被告は認識していた」「翌朝まで帰らないつもりで外出した以上、遺棄の故意があった」として懲役2年8か月の実刑を言い渡しました。


これが判決の「事実」。ここから先は、なぜ被告が“頼れない”と感じたのか、頼れたとしても本当に助かるのか、という制度と社会の側の問題に焦点を当てて考えます。




「頼れ」と言われたとき、当事者が直面する現実――制度はあっても届かない

1) 行政サービスに「空き」がない

最近政府は「こども誰でも通園制度」など、通園・保育の柔軟な利用を広げる政策を打ち出しています。制度設計や給付枠の規定は整いつつありますが、実際に必要な時に近場で空きがあるかどうかは自治体の運用や施設のキャパシティ次第です。たとえばこの「こども誰でも通園制度」は全国的な導入が進められているものの、利用可能時間や受け皿の整備は自治体ごとの状況に依存します。

私の経験(筆者注)としても、病院通院のために育休中の子どもを「子ども誰でも通園制度」を利用して預けたかったのですが、近隣の園には空きがなく、利用できるのは電車で何駅も移動しなければならない場所だけでした。移動時間や体力的負担を考えると、実際に利用するハードルが高く、制度が「ある」だけでは救われないことを痛感しました。



このように制度上は利用可能でも、物理的なアクセス(近さ)や即時性(急な必要時に空いているか)、利用に伴う移動負担が現実の利用を妨げます。

2) 経済的壁――有料サービスは負担になる

産後ケア(宿泊型・デイサービス)や一時預かりは、自治体によっては有料で、家計に余裕がない世帯では利用できません。結果として「お金さえあれば助かる」という格差が生じます。制度が市場原理や有料サービスを前提にしている場合、最も困っている層が利用しにくい構造になりがちです。

3) 私的ネットワークは“継続的”な支援をしてくれない

家族や友人に頼るという選択肢も、現実には機能しないことが多いです。一次的な手伝いは受けられても、夜間の継続的な交代や、週単位での定期的な支援を頼める人は限られています。頼ってみた結果、関係がぎくしゃくしたり、やんわりと距離を置かれてしまうケースも少なくありません。こうした「私的ネットワークの限界」は、制度の穴を埋めることができない重要な現実です。

4) 睡眠負荷――判断力も体力も削がれる

睡眠不足は判断力と危機対応能力を低下させます。夜間のケアや一人での対応が続くと、どれだけ注意深い人でもミスや判断のズレが生じやすくなります。そうした状態にある母親に「頑張らないで」「頼りなさい」と言っても、それが実効的でなければ意味を持ちません。裁判所の説諭がどれほど当事者に届いたかは、ここで問われるべきです。




事件と判決をどう読めばよいか――責任追及と社会の責任は二重に考えるべきだ

今回の判決は刑事責任を問うものであり、裁判所は「たんの吸引を欠いたことが生命に直結した」と認定しました。一方で、判決の中で指摘された被告の過重負担やその背景(シングルマザーであること、在宅での医療的ケアの継続性の困難さなど)は、制度上の欠陥や社会の支援体制の脆弱さを露呈しています。判決は「個人の責任」について裁きを下しましたが、同時に「なぜ個人にそこまで負担が集中したのか」という構造的な問いを突きつけています。

つまり、司法が個人の行為について結論を出すことと、社会が再発防止のために制度を検証・改めることは、両方必要です。個人の責任を明確にするだけで満足せず、同時に支援の実効化をどう図るかを議論に上らせなければ、この種の悲劇は繰り返される危険があります。




現場の視点から見た「具体的に必要なこと」

制度の議論を抽象論で終わらせないため、現場(当事者)の視点で具体案を挙げます。

1. 近隣で使える「短時間預かり」の実体的拡充
— 空きがなくては意味がない。近場で短時間に預けられる枠を増やす仕組みを自治体が優先的に整備する必要があります。


2. 移動負担を軽くする仕組み
— 移動が必要な施設しか空いていない場合、送迎支援や移動補助を組み合わせて、実際に利用できるようにする。


3. 経済的支援の明確化
— 無料あるいは低料金で利用できる短期ケア枠の創設。費用が理由で利用を躊躇する家庭を減らす。


4. 夜間を含む医療的ケア対応の受け皿整備
— 医療的ケア児の受け入れが可能なショートステイや訪問看護の人員・体制を増やす。


5. 私的ネットワークを補完する“地域の第三者支援”
— 近隣ボランティア、地域の見守り制度、医療と福祉が連携したワンストップ相談窓口の設置など、継続性のある支援を作る。


6. 「緊急時の確実な受け皿」情報の公開と予約の簡素化
— 緊急時に使える枠の在庫(空き状況)を自治体や施設が可視化し、申し込み手続きの簡便化を図る。



これらは一朝一夕で全部が実現するわけではありませんが、議論の出発点として「誰に何が届かないのか」を明確にして優先度をつけることが必要です。




終わりに――当事者の声を舗装にせず、制度の穴をふさぐ責任を

今回の判決は、刑事責任の追及という司法的な回答を提示しました。しかし、裁判所の「ひとりで頑張らないで」「頼れ」という言葉が当事者の生活実感と接続していなければ、それは響かないどころか当事者の苛立ちと絶望を増幅します。制度がある、と言うだけでは不十分で、「使えるか」「使いやすいか」「近いか」「続けられるか」が最も重要です。

私(筆者)を含め、多くの母親は「制度がある」という宣伝だけを見て“救われた”わけではありません。実際に使えずに苦労した体験が、今回の事件報道を見て胸に刺さるのはそのためです。司法的な判断と並行して、社会・行政が実効性のある支援を整備すること。これが、この事件の本当の教訓だと私は考えます。




参考文献(主な報道・制度資料)

「『浅はか、最悪の結果』寝たきりの娘置き去り、窒息死 母親に酌量刑 裁判長『ひとりで頑張らないで』」 ラジオ関西(ラジトピ)。

「呼吸障害の娘放置死、母親に懲役2年8月判決」 神戸新聞(オンライン)。

「母親に懲役2年8カ月の判決 たんを吸引せず放置し娘死亡」 SUN-TV。

こども未来戦略/「こども誰でも通園制度」概要(公式ページ)。

「こども誰でも通園制度の実施に関する手引」(令和7年3月、制度運用ガイドPDF)。





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