【コラム】「それ、もし妻がやったらどうなるの?」
〜“食い尽くし系夫”が家庭を壊す日〜

※始めにお断りしておきますが、我が家の夫の話ではありません。

「パパが全部食べちゃった!」
子どもがふと漏らしたこの言葉。家族団らんの場では、ちょっとした笑い話として流れてしまうこともあるかもしれません。ですが、もしそれが日常的な出来事であれば、単なる「食べ過ぎ」では済まされません。

SNSや記事でも話題になる“食い尽くし系夫”。
家族のために取っておいた食べ物を、平然とすべて食べてしまう。翌日使う予定の食材を確認もせず口に運ぶ。
なぜこんなことが、家庭の中で繰り返されるのでしょうか。



■「家族だから許される」という驕り

職場の飲み会や接待の場で、用意された料理を一人で全部平らげる人がいたらどうでしょう。
間違いなく「非常識」として注意されるはずです。
ところが、家庭内になると「だって冷蔵庫に入ってたから」「お腹すいてたんだよ」で済ませてしまう人がいます。これはつまり、「家族なら何をしても許される」という前提があるということです。

この“甘え”は、単なる無神経ではなく、「家庭内での自分の立場を特権化している」驕りです。



■妻がやったら?それでも笑えますか?

ここで問いかけたいのは、「もし妻が同じことをしたら?」という視点です。

明日の子どもの弁当用に冷蔵庫に入れていた唐揚げ。夜中に妻が全部食べていたとします。
翌朝、夫が「何で唐揚げないの!?」と不満を言ったら、こう返されたらどう感じるでしょうか?

「だって、お腹すいてたから」

笑って済ませられますか?
家庭がきちんと回らなくなるような行動を、妻がすれば責められる。けれど、自分がすれば「悪気はなかった」ですまされる。このダブルスタンダードは、明確に不公平です。



■食べ物=家庭運営のインフラです

家庭の冷蔵庫の中身は、コンビニや自販機とは違います。
そこには「明日の朝食」「子どものおやつ」「常備菜」など、家族の生活を成り立たせるための計画が詰まっています。

にもかかわらず、それを考慮せずに食べ尽くすということは、「家庭がどう運営されているか」に無関心である証拠です。
それは無知ではなく、無責任です。



■「悪気がない」が一番たちが悪い

「ごめん、つい食べちゃった。悪気はなかったんだよ」
これほど、話を終わらせるためだけの言葉はありません。
悪気がなければ繰り返してもいいのか? 悪気がないから、妻や子どもが我慢すべきなのか?
本当に大切なのは、「自分の行動が、誰かの予定や気持ちを踏みにじっていないか」に思いを巡らせることです。



■家族にも、敬意と遠慮を

冷蔵庫の食べ物に名前を書いたり、専用スペースを決めたりといった対策はあります。
けれど、もっと根本的な変化が必要なのは、「家族にこそ敬意を持つこと」ではないでしょうか。

「家族だからこそ、ちゃんと確認する」
「家族だからこそ、遠慮を忘れない」

たったひと言、「これ食べていい?」と聞く習慣が、家族関係を根底から変える力を持っています。



■結びにかえて

「家族だからいい」は、「家族だからこそダメなこともある」のです。
もし「これ、妻がやったらどうなる?」と自問するだけで、防げるすれ違いは少なくありません。
家庭という共同体を成り立たせるには、まず“自分も運営者の一人である”という自覚が必要です。

家庭はホテルではありません。
誰かがあなたのために動いていることを、食べ物を通して、今一度考えてみてほしいと思います。



参考文献・報道記事

まいどなニュース(2025年6月21日)「“食い尽くし系夫”に悩まされる日々…まさかの事件で大反省」
https://news.yahoo.co.jp/articles/e8f162527dabc57d110f1f1e2ebaf727ce79dcf1

上野千鶴子『おひとりさまの老後』より、家庭内役割に対する無自覚な性差意識に関する考察(文春文庫)




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