子連れのマナー違反が話題になることは少なくありません。
SNSでも「ベビーカーが邪魔」「子どもがうるさい」「親が注意しない」といった投稿が拡散されるたびに、
「やっぱり子連れは…」という声があがります。
しかし、子連れである私たちの側からすると、
むしろ「子連れではない人のマナー違反」によって嫌な思いをする場面も日常的にあります。
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■子連れが遭遇する“マナー違反”の現実
例えば、こんな場面を経験したことはないでしょうか。
・喫煙所以外での喫煙。しかも、子どもの顔の高さで歩きタバコをしている人。
・エレベーターの順番抜かし。ベビーカーで待っているのに、横から素早く割り込まれてしまう。
・優先エレベーターなのに、ベビーカーが来ても降りようとせず、乗れないまま閉まってしまう。
・子連れであることを理由に、「文句を言われにくい」と思っているのか、しれっと順番を抜かす人も。公共交通機関などで起こることもある。
こうした状況に遭遇しても、子連れの側は「子どもがいるから波風を立てたくない」と思って我慢してしまうことが多いです。
ですが、「マナーが悪い人がいる」という意味では、どちらの立場でも変わらないはずです。
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■なぜ「子連れのマナー違反」だけが強調されるのか
ここで大きな違いがあります。
子連れがマナー違反をしたときには、「やっぱり子連れは」と属性ごとに非難されます。
一方で、子連れではない“特徴のない大人”がマナー違反をしても、「マナー悪い人もいるね」で終わってしまうのです。
つまり、「子連れである」という目に見える属性があることで、
その行動が過剰に目立ち、そして一般化されてしまうのです。
これは、社会的なラベリング(属性によるレッテル貼り)の問題です。
同様の構造は他の属性にも当てはまります。
外国人 → マナーが悪い
若者 → 常識がない
高齢者 → 頑固で融通が利かない
子連れ → うるさい・図々しい
実際には「個人のマナーの問題」であるにもかかわらず、
「◯◯だから」という属性に責任が転嫁され、偏見が生まれてしまいます。
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■本当の問題は“思いやり”の欠如
問題なのは、子連れかどうかではなく、相手への思いやりがあるかどうかです。
子育て中は、思うように動けないことも多く、周囲の協力や配慮が不可欠です。
もちろん、子連れ側にもマナーを守る努力は必要です。
でも、それは子連れに限らず、社会に生きるすべての人に共通して求められることではないでしょうか。
「子どもが泣いた」「ベビーカーが場所を取る」といったことをすぐに「迷惑」と断じるのではなく、
その背景や事情を一度立ち止まって考える余裕が、社会全体に必要だと感じます。
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参考文献・関連記事
川端裕人(2019)「子どもと一緒に公共空間へ出よう」NHK出版新書
内田良(2018)「リスク社会の教育論」明石書店(偏見とラベリングについて詳述)
日本子育て支援協会「公共の場における子連れへの配慮に関する調査報告書」2021年
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【コラム】なぜ「子連れのマナー違反」だけが叩かれるのか?──実は見過ごされる“非子連れの迷惑行動”
