【コラム】子どもの「未熟さ」を受け入れるのが、大人の成熟ではないでしょうか?

「3歳にもなって、もう少し静かにできないの?」「4歳なんだから、これくらいはできて当然」
そうした言葉を、育児や保育の現場、さらにはSNS上でも頻繁に見かけます。

けれど、年齢だけを根拠に「できて当然」と決めつけるのは、果たして適切でしょうか?
子どもの発達を理解する立場から言えば、答えは「いいえ」です。



■子どもの発達には「個人差」と「時間差」がある

発達心理学や脳科学の知見では、子どもは年齢に応じて徐々に認知能力や感情のコントロール力を獲得していきます。ただし、その進み方には個人差が大きく、すべての子が一律に同じ時期に同じことができるわけではありません。

たとえば、信州大学医学部特任教授・友田明美氏は、「子どもの行動や感情の調整能力は、脳の前頭前野の成熟に深く関わっており、これが本格的に働き出すのは小学校中学年以降」であると述べています(※1)。

つまり、「4歳だから」「5歳だから」といっても、それはあくまで目安にすぎず、実際の子どもはまだまだ未熟で当然なのです。




■「子どもだから仕方ない」を認めることは、甘やかしではない

ネット上では、「子どもだから仕方ない」とする言い方に対して「甘やかしだ」「責任を取らせるべきだ」と否定的な声もあります。

ですが、たとえば保育の現場では、未熟な子どもに合わせた支援や対応が基本です。厚生労働省が定める『保育所保育指針』にも、「子どもの発達過程を踏まえ、一人一人の育ちを支える保育が必要」と明記されています(※2)。

未熟な存在に無理をさせるよりも、未熟さを前提とした接し方をするほうが、長期的な成長や信頼関係の構築につながります。これは教育や福祉の分野で広く共有されている考え方です。




■大人の成熟とは「できない相手に歩み寄る力」

本来、大人が持つべき成熟とは、「できない相手を責める」のではなく、「その人の段階に合わせて関わり方を選ぶ」ことではないでしょうか。

子どもがジュースをこぼすことも、思うように言葉で気持ちを伝えられず泣いてしまうことも、未熟ゆえに当然の姿です。そうした未熟さに対して、怒鳴る・脅す・叱るという手段しか取れないとすれば、それは年齢上の「大人」であっても、内面的には未熟であると言わざるを得ません。


「どうしたの?」「やってみよう!困ったら助けるよ」「もし失敗してジュースをこぼしても、床を拭けば良いよ、リカバリーを手伝うから挑戦してみよう」

こんな声掛けが、子どものやる気を引き出し、失敗しても大丈夫だと安心感を持たせることに繋がるのではないでしょうか。

そしてそれは、いずれその子どもが大人になった時、子どもへ温かで成熟した手を差し伸べられる人になる、そんな未来へと繋がっているのではないでしょうか。




■「歩幅を合わせること」は、甘やかしではなく信頼の土台

私たちがすべきことは、子どもに大人の基準を押し付けることではなく、子どもの発達段階に歩幅を合わせて関わることです。

「子どもだから仕方ない」と考えるのは、責任放棄ではありません。それはむしろ、子どもが育っていく途中であるという当たり前の前提を受け止める、成熟した姿勢なのです。




【出典】

(※1)友田明美(2017)『子どもの脳を傷つける親たち』NHK出版新書
 https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000885232017.html

(※2)厚生労働省『保育所保育指針(平成29年告示)』
 https://www.city.suginami.tokyo.jp/documents/1246/20241001.pdf




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