「スマホを持ったり塾に通ったり、大学まで進学する…今の人は贅沢をするから、子育てが大変なんだ」という声を耳にすることがあります。でも、これは大きな誤解です。
確かに、昔と比べれば子どもを育てる環境は大きく変わりました。スマホや塾、大学進学はかつて「贅沢品」だったかもしれません。しかし、今ではそれらは単なる贅沢ではなく、社会に適応するために必要なツールや手段になっています。
社会というのは、新しい発明やインフラが普及すると、それに合わせて生き方そのものが変わっていきます。
たとえば、かつて家に電話がなければ、学校や職場からの連絡が取れず、社会生活が成り立たなかったのと同じです。「電話なんて贅沢だ」と言っても、社会がそれを前提に動いていれば、持たざる者は取り残されてしまうのです。
今の子どもたちがスマホを使ったり、塾に通ったりするのも同じです。情報社会の中で、最低限の学力やITリテラシーがないと、将来の選択肢が大きく狭まってしまいます。塾はもはや単なる「勉強の補助」ではなく、教育格差を埋めるためのライフラインとなっている家庭も少なくありません。
また、大学進学も「一部の優秀な子だけのもの」ではなくなりました。多くの職業で大卒資格が求められる現代において、大学進学は将来の生活を支えるための前提条件の一つになっています。
こうした社会の変化を無視して、「昔はそんなものなくても子育てできた」と言っても、もはや通用しません。今は、両親が共働きで、夫婦で年収900万円をやっと超えても、子どもを塾に通わせ、スマホを持たせ、大学まで進学させるのがやっとという現実があります。かつての「父親がひとりで働き、母親が専業主婦でも生活できた時代」とは、社会構造そのものが違うのです。
つまり、子育ての苦しさは「贅沢」ではなく、「社会の進化にともなう必然的な適応」によって生じているのです。
だからこそ、求められるのは“贅沢をやめること”ではなく、“社会の変化にふさわしい支援や仕組み”です。保育・教育の公的支援、働き方の柔軟性、地域ぐるみの子育てサポートなどが、ますます重要になっています。
私たちが向き合うべきなのは、「贅沢かどうか」ではなく、「今の社会で、子どもたちが生き抜くために本当に必要なものは何か」。その問いに真剣に向き合い、支え合える社会をつくることではないでしょうか。