■「正しいこと」より「舐められない立場」が重視される子どもの世界
学校という小さな社会の中では、「いじめられるかどうか」は正しさや優しさとは無関係であることが少なくありません。クラス内で舐められない、発言権を持てる、上位のヒエラルキーに入れる――それが子ども自身が“安全”と感じられる場所なのです。
そのなかで、体毛が濃いことが「からかい」や「陰口」の材料になってしまう現実があります。
しかも、その構造はとても強固で、一度“下”の立場になってしまえば、努力だけで抜け出すのは難しい。
そう考えると、脱毛は単なる美容の話ではなく、
「自分を守るための手段」=“生きやすさ”の切符
になりうるのです。
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■「健康への配慮」と「心の傷を防ぐ配慮」はどちらも必要
反対派が挙げる「皮膚のリスク」「自己決定権」も、もちろん重要です。
特に親の価値観が強く入りすぎると、子どもが「この体ではダメなんだ」と思い込む危険もある。
だからこそ、重要なのは:
・本人の悩みをまず否定しないこと
・「あなたがどうしたいか」を丁寧に聞くこと
・選ぶ自由と、選ばない自由の両方を保障すること
です。
脱毛する・しないは「ゴール」ではなく、自分で選べたという実感が、心を強くする。
そして、親や大人がそれを支えられるかどうかが問われているのだと思います。
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■医療脱毛を「救いの手」にしないために
最後に大事なのは、脱毛を“最終手段”として扱うことです。
「脱毛すればいじめられない」「脱毛しないと人間関係がうまくいかない」という社会では、問題の根本が解決されません。
脱毛はあくまで、本人の自己決定の中で選ばれる“選択肢の一つ”であるべき。
そして本来であれば、脱毛しなくても見た目の違いが許容されるような、社会と教育の土壌を整えることの方が本質的な課題です。
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参考文献・資料
Yahoo!ニュース「8歳から脱毛受け入れ 医師の思い」(2025年6月23日)
PR TIMES「小児医療脱毛の倫理指針」
日本皮膚科学会「医療レーザー脱毛に関するQ&A」
「学級内ヒエラルキーと子どもの自己肯定感」―児童心理学レビュー(2022年)
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【対立する視点シリーズ③】子どもの脱毛をめぐる“本当の問題”:見た目とヒエラルキー、そして生きやすさ
