【③ケースバイケースで考えるべき、という立場から】
家庭ごとに状況は大きく異なります。障害の程度、経済的な余裕、親の健康、支援の有無──それらによって、「次の子どもを迎えることが現実的かどうか」は変わってきます。
ある家庭では、2人目の子が生まれたことで、親も上の子も穏やかな時間を取り戻せたというケースもあります。
別の家庭では、理想と現実のギャップに苦しみ、「子どもたちに申し訳ない」と悩み続けている親もいます。
だからこそ、このテーマに「正解」はなく、判断は家庭内での丁寧な話し合いや、周囲の理解と支援体制に基づいてなされるべきです。
外から「それは無責任だ」「もう産むべきじゃない」と言うことは、たとえ善意からでも、当事者にとってはプレッシャーになります。
実際に、福祉制度や訪問看護などの公的支援を活用しながら、きょうだい児への配慮も怠らないよう工夫している家庭もあります。親自身が「無理をしすぎない」ことを大切にして、第三者の手を積極的に借りることで、家族全体のバランスを保っている例もあります。
また、障害のある子を持つ家庭だからこそ、兄弟姉妹が小さいころから他者への配慮や多様性への理解を深めて育っていくという側面もあります。「障害のあるきょうだいがいたからこそ、人の痛みに敏感になれた」「将来、福祉や教育の道に進むきっかけになった」という声もあり、必ずしも負担や制限ばかりではありません。
障害のある子を育てているからといって、次の子を諦めるべきだという単純な結論ではなく、それぞれの家族が「どんな支援を得て」「どんな工夫をして」「何を大切にしていきたいか」を軸に考えられる社会であるべきです。
私自身は、障害のあるなしに関わらず、「◯人子どもが欲しい」という希望は、尊重されるべきだと考えています。ただし、それは他者にケアを担わせて当然という意味ではありません。
どんな子どもも、家族任せではなく、社会がともに支える社会を。
そしてきょうだいが、「支える」ことを強制されるのではなく、自分自身の人生を自由に選べる環境を。
そうした社会をめざすことこそが、すべての子どもにとっての安心につながるのではないでしょうか。
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