「また来たよ……」
そう思いながらも、玄関に立つその小さな背中を見て、追い返すことができない。
何かあったんじゃないか。お腹を空かせていないか。帰る家が本当に安心できる場所なのか――。そんな想像がよぎるのは、決してお節介ではなく、ごく自然な感情かもしれません。
放置子問題に向き合うとき、「それでも助けたい」と願う人たちの視点があります。
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◆ 子どもに責任はない
放置子と呼ばれる子どもたちは、自らの意思で家庭を選んだわけではありません。親の都合で食事が十分に与えられなかったり、学校以外に安心できる場所がなかったりする中で、「誰かに構ってほしい」「ごはんを食べさせてほしい」と他人の家に足を運ぶのです。
大人の都合によって振り回される彼らに、非はあるでしょうか。
困っている子どもが目の前にいるのに、「親の責任だから」と突き放すことに、後ろめたさを感じる人も多いのではないでしょうか。
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◆ 社会で子どもを守る、という発想
現代では「地域で子育てする」という言葉が見直されています。
かつては当たり前だった“ご近所付き合い”や“お互いさま”の精神が、核家族化や孤立の進行によって失われた結果、子どもが「家庭で守られなければ誰にも助けてもらえない」社会になってしまった面もあります。
地域や近隣の大人が、異変に気づき、声をかけ、時にはご飯を出してあげること。
それは「育児の肩代わり」ではなく、「命や心を守るための橋渡し」として、今だからこそ必要な関わり方ではないでしょうか。
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◆ “助ける”は丸抱えではない
もちろん、無理して家に入れ続けたり、毎日ご飯を用意したりする必要はありません。
けれど、「今日はもう遅いから帰ろうね」「心配なことがあったら先生に言ってごらん」と声をかけることは、誰にでもできる「最小限の支援」です。
見て見ぬふりをせず、小さなSOSを受け止める大人が一人でも多くいれば、子どもが追い詰められる前に手を打てる社会に近づけるはずです。
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◆ 小さな優しさが、未来を変えるかもしれない
何気なく出した一杯の味噌汁、一言の「大丈夫?」が、その子にとって生涯忘れられない“安心の記憶”になることがあります。
すべてを背負う必要はありません。
でも、手を差し伸べることができるなら――その一歩が、たったひとりの子どもの未来を変えることだってあるのです。
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