最近のニュースで、家族4人が亡くなった事件が「無理心中の可能性がある」と報じられています。
26歳の夫婦と1歳・2歳の娘たち。現場には「ごめんね」というメモもあったといいます。
もしこれが夫による無理心中、つまり妻や子どもを道連れにしたものだったとしたら――私は深い怒りを覚えます。
たとえどれほど絶望していても、他人――とくに妻や子どもという、別の人格を持ち、未来を持つ人間を巻き込むことは絶対に許されません。
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■「生き残っても辛いから連れていった」なんて正当化できない
このような事件のたびに、「生き残っても辛い人生になるなら、連れていったのは優しさなのでは?」といった意見が出ることがあります。
ですが、それは絶対に間違っています。
生き残ってどう生きていくかは、あくまで妻や子ども本人が決めること。
辛さや困難があっても、そこから立ち上がる選択肢を奪う権利など、誰にもありません。
「苦しまないように連れて行った」は、一見やさしさのようでいて、実際には支配と奪いです。
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■妻や子を「自分の所有物」のように扱う傲慢さ
他人の命を、自分の判断で「終わらせていい」と考える――
そこには、妻や子どもを「自分と一体の存在」「自分の持ち物」のように扱う意識があります。
でも、妻も子どもも、あなたとは違う人格を持つ、尊厳ある存在です。
「一緒に死ぬ」のではなく、それは「殺している」のです。
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■本当に問われるべきは、「支える仕組み」の方だ
「親が死んだ後に子どもが苦しむかもしれない」という懸念があるなら、
それは社会全体で「子どもをどう支えるか」「親が追い詰められない仕組みをどう作るか」を考えるべき問題です。
殺すことで解決する道理など、どこにもありません。
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■命には、本人の選択権がある
人はどんなに近しい関係にあっても、他人の人生を勝手に終わらせる権利など持っていません。
子どもには子どもの未来があり、妻には妻の人生があります。
それを「自分が絶望したから」と奪うことは、他者の尊厳を完全に無視した行為です。
それを理解もせず、「仕方なかった」と正当化するような世の中にはなってほしくない。
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私は、こうした理不尽な「巻き添えの死」に怒っています。
そして、他人の命を軽んじる空気にも強い怒りを覚えます。
だからこそ言いたいのです。
「他人の人生を、自分が絶望した理由で終わらせるな」と。
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