※始めにお断りしておきますが、これは私の夫のことではありません。
でも、今の日本社会で多くの家庭に起きている、よくある出来事として、ぜひ一緒に考えてほしいのです。
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■「何してたの?」は、“問い”ではなく“断定”になっていないか
育児中の妻が一日家にいて、夫が帰宅して目にした光景。
散らかった部屋、終わっていない家事、干しっぱなしの洗濯物。
そんなとき、ふと口から出る「今日、何してたの?」という言葉。
けれどこの問いは、実は問いかけではなく“非難”に近い意味を持ってしまっていることがあります。
本当に問いかけたいのなら、
「今日は何が大変だった?」
「どこかで困ってた?」
そう聞くこともできたはず。
けれど「何してたの?」という表現には、
“何もしていなかったんじゃないか”という前提がにじんでいるのです。
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■「電話が2本同時に鳴っている状態」の中で、何が最優先されるか
私がよく使う例え話があります。
子育て中の母親は、一日中「電話が2本同時に鳴っている状態」にいるようなものだという話です。
たとえば、
・赤ちゃんが泣いてミルクを欲しがっている
・その横で上の子が宿題を見てほしいと呼んでいる
・洗濯機が止まっていて、干さないと乾かない
・キッチンでは鍋が煮立っていて、火を止めるべき時間がきている
その中で、どうしても一つ一つを順番にしか対応できない現実があります。
結果として、部屋が片付いていない、夕食の準備が遅れた、洗濯物が溜まった。
それは、「怠けていた」からではなく、物理的に限界があったから。
どれも大事なことだけれど、命を守る・子どもを最優先にするとなれば、家事が後回しになるのは自然なことではないでしょうか。
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■職場なら「叱責されても当然」なのに、なぜ家庭では「ヒステリー」?
もうひとつ、比較したいのは職場との違いです。
よく妻が「夫が必要なときに動いてくれない」と不満を漏らします。
これも、職場に置き換えるとわかりやすい話です。
電話が2本鳴っていて、1本は誰かが出たけれど、もう1本が鳴りっぱなし。
隣にいた同僚が知らんぷりしていたら、
多くの職場では「なんで出なかったの?」と注意されるでしょう。
このとき、「上司がヒステリー」と言う人はいません。
単に、「職場の一員として果たすべき役割があるよね」という話です。
でも、家庭でそれを妻が言うと、
「ヒステリー」「感情的」と言われることがあります。
なぜ家庭だけが、相手を思って発した言葉が“責め”と受け取られ、感情論にすり替えられてしまうのでしょうか?
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■夫にも事情がある。その上で、だからこそ必要な“共有”
もちろん、夫にも事情があることは分かっています。
仕事でくたくたになって帰ってくることもあるでしょう。
「何を手伝えばいいのか分からない」と戸惑うこともあるでしょう。
一方で、妻もまた、「どうすれば理解してもらえるのか分からない」と思っていることがあります。
だからこそ、必要なのは“正解”ではなく“共有”だと思うのです。
「これがつらかった」
「今こういう状態」
「できないのには理由がある」
そうした日々の出来事を、報告書のように冷静に共有するのではなく、
心の内側から話し合える関係性を築いていくことが、何より大切なのではないでしょうか。
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■「責める」でもなく「黙る」でもなく、「問い」を持ち合える関係へ
家事育児というのは、“正解のない仕事”です。
「できたか」「終わったか」ではなく、
「どう過ごしたか」「どこに困ったか」を丁寧に振り返らなければ、
その頑張りや工夫は誰にも見えないままです。
見えない仕事は、評価されづらく、誤解されやすい。
それでも、「できていない」ことだけを責めるのではなく、
「なぜそうなったのか?」を一緒に考える姿勢があるだけで、空気はまったく変わります。
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家の中も、社会の一部です。
同じ「チーム」として、相手の視点を持つ努力を互いにしていけたら――
もっと優しくて、もっと健やかな毎日が送れるのではないでしょうか。
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参考資料
内閣府「男女共同参画白書(令和5年版)」
https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/r05/zentai/index.html
NHK生活情報特集「育児は“見えない家事”の連続」
https://www.nhk.or.jp/lifestyle/article/detail/01056.html
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【コラム】家にいるのに「何してたの?」というその一言――本当に正当な問いでしょうか?
