今日の夕ご飯は惣菜で済ませてしまった。洗い物も明日やろうと思う。でも、そんなときにふと「手抜きだな」と言われることがあります。子どもにご飯を作ることや家を整えることは、毎日当たり前のようにやっているのに、ほんの少しの調整でさえ「手抜き」と呼ばれる。私はこの表現に、強い違和感を覚えます。
そもそも、子育ては常に目を離せない責任を伴います。乳幼児期は特に、夜泣きや体調不良、食事や遊びの世話などで休む暇もありません。子どもが成長しても、学校や習い事、友人関係、地域の付き合いなど、多種多様な負担が親にのしかかります。これらを休みなくこなす日々は、例えるならフルマラソンを走り続けるようなものです。
フルマラソンの選手が「今日は練習メニューを軽めにしよう」「今日はオフにしよう」と決めても、誰もそれを手抜きとは呼びません。それどころか、長距離を走るためには休養も必要だと理解されています。にもかかわらず、子育てに関しては「惣菜にした」「掃除は明日」といった小さな調整すら手抜き扱いされがちです。
これは、社会的な「完璧主義」による誤解だと思います。完璧=全てをやり切ることと考えると、人間の現実的な能力や体力を無視した評価になってしまいます。膨大なタスクのうち、6割しかこなせなかったとしても、それは必死に努力した成果であり、決して手抜きではありません。4割できなかったからといって怠けたと評価するのは不適切です。
子育ては、結果として完璧に見えるものではなく、持続可能なペースで負担を調整しながら家族と自分を回していく作業です。ですから「今日は惣菜でいい」「洗い物は明日」といった調整は、むしろ長期的にフルマラソンを走り切るための戦略的な負担調整であり、決して手抜きではありません。
社会全体がこの認識を持つことで、親自身も罪悪感なく、自分の体力や精神を守りながら子育てを続けられるようになると思います。
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参考文献
厚生労働省「子育て世帯の生活と意識に関する調査」2023
内閣府「共働き家庭の家事・育児負担に関する調査」2022
小林久美子『現代の家族と育児負担』中央法規出版、2021
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【コラム】子育てはフルマラソン!手抜きじゃなく『負担調整』が正解
