1. 事件の概要
Yahoo!ニュースで取り上げられたのは、特別支援学級に在籍する自閉症の児童が、体育の授業で「見せしめ」のような扱いを受けたという訴えです。
授業中、苦手な動きを全児童の前で繰り返し指導され、「できない子」として目立たされたことで、本人も親も深く傷ついたとのこと。SNS上では《昔の体育のまま》《体育嫌いを量産しているだけ》といった共感の声が相次ぎました。
2. 教育の名を借りた“恥”の強要
本来、教育の目的は「できるようにすること」であって「できないことをさらすこと」ではありません。
苦手な動作を皆の前で繰り返させ、「頑張っている姿を見せよう」とする行為は、本人にとっては恥ずかしさと屈辱でしかない場合があります。とくに発達障害のある子にとって、視覚や聴覚への刺激が強く、他者の視線も過敏に感じやすい傾向があるため、いっそう苦痛になりえます。
3. 「皆と同じに」は本当に正義か
「みんな同じ授業を受けるのが公平」という考え方は一見平等のようでいて、実は“画一主義”にすぎません。本当に大切なのは、「それぞれが自分に合った方法で学べる環境を整えること」──つまり合理的配慮です。
合理的配慮とは、他の児童と同じように教育を受けられるように、本人に応じたサポートをすること。たとえば、みんなの前での実技を避ける、事前に個別練習を入れる、ルールや動きを視覚的に提示するなど、方法はいくらでもあります。
4. “体育嫌い”を育てていないか
体育の授業が「できる子の見せ場」「できない子のつらい時間」になっているとしたら、それは教育として失敗です。
実際、SNS上でも「私も昔これで体育嫌いになった」「未だにトラウマ」などの声が相次いでいます。体を動かす楽しさや達成感を学ぶどころか、自己否定や恐怖心を植えつけてしまっている現状があるのです。
5. 指導者へのリテラシー教育が必要
教員の中には、子どもの特性について十分な理解がないまま「平等」や「努力」を押しつけてしまう人もいます。教員養成課程や現職研修の中に、発達障害への理解・対応方法、インクルーシブ教育の実践が必須であるべきです。
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【まとめ】
「できないことを“頑張って見せろ”」という指導は、指導ではなくパワーゲームです。
すべての子が安心して学び、挑戦できる体育のあり方を、もう一度問い直すときです。
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参考資料
文部科学省「特別支援教育資料集」
日本自閉症協会
『インクルーシブ教育の理論と実践』(学苑社)
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【コラム】その体育、本当に“教育”ですか?
~苦手をさらし者にする授業が「公開処刑」となるとき~
