子どもが泣いたりぐずったりすると、つい周囲の目が気になってしまう――そんな経験は、子育て中の親なら一度はあるのではないでしょうか。
「泣くのは仕方ないけど、親が申し訳なさそうにしないと腹が立つ」「あやしていない親を見ると不快だ」という声もあります。
けれども、本当に親は常に申し訳なさそうにしていなければいけないのでしょうか?
親の態度にばかり注目が集まりがちですが、実はそれが子育て世帯にとって大きな精神的負担になっています。
この記事では、子どもの泣き声に対する社会のまなざし、親があえて“何もしない”選択をする理由、そして公共の場における子育てのあり方について掘り下げていきます。
■子どもは泣くものです
まず前提として、子どもが泣くことは、成長過程においてごく自然で避けられない行動です。
乳幼児期や幼児期は、言葉ではなく泣くことでしか自分の欲求や不快感を伝えられないこともあります。
それを「迷惑」と一方的に受け止め、親に「申し訳なさ」を求めるというのは、子どもの自然な存在や行動を否定することにもなりかねません。
■あやしていないように見えて、実は…
「親が何もしていない」と感じられる場面でも、実際にはその親がすでに何十分もあやしてきて、疲れ果てているケースがあります。
ときには、泣き叫ぶ子どもには、何をしても逆効果で、静かに待つことが一番効果的な対応である場合もあります。
子どもを育ててきた経験のある親ほど、その子にとってどんな対応が最善かを理解しています。
つまり、「あやしていない=何もしていない」のではなく、「必要だからあえて何もしない」という判断であることも少なくありません。
■親がとる対応は、その子にとってのベスト
親は、その子どもと一番長く、深く付き合ってきた存在です。
一見して周囲には理解しがたい対応であっても、実はそれがその子にとって最も適切であることもあります。
そうした中で、周囲が「謝罪の姿勢」を親に強要するのは、「その子どもの行動は悪であり、親がそれを認めて詫びるべきだ」と決めつけてしまうことになります。
■公共の場は、みんなのもの
もちろん、すべての迷惑行為が許されるべきだというわけではありません。
しかし、子どもの泣き声やぐずりは、一時的で、生理的なものです。
それに対して、親が常に「申し訳なさそうに」していなければならないという空気は、育児中の親をますます社会から孤立させてしまいます。
親が「外に出るだけで白い目で見られる」と感じれば、外出を控えるようになり、結果として親子ともに社会とのつながりが薄れていきます。
■子育て世帯が申し訳なさそうにする社会は、やさしいか?
子育て世帯が外で申し訳なさそうにしなければならない社会は、やさしい社会でしょうか?
むしろ、子どもを育てることに「負い目」を感じさせる冷たい社会だといえるのではないでしょうか。
親が申し訳なさを示さないから腹が立つ、という感情は理解できなくはありません。
けれども、それは自分の「不快感」によって、相手に「罪」を背負わせようとしている構図になっていないか、立ち止まって考えてみる必要があります。
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参考文献
『子どもは悪くない――公共空間の不寛容を考える』荻上チキ(光文社新書、2021年)
厚生労働省「子どもの健やかな育ちのために」
日本小児科学会「子どもの発達段階と行動特性についての指針」
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【コラム】子どもが泣いたとき、親は謝るべき?公共の場で子育てする親が「申し訳なさそうにすべき」という空気への違和感
