数年前、弟から相談を受けました。
「友人に子どもが生まれたから、お祝いで飲み会をするんだけど……プレゼントは何がいいかな?」
弟としては善意で相談してくれていたのだと思います。でも、私は即答しました。
「飲み会はやめなさい。」
一瞬、弟は驚いていたと思います。でも、私はこう続けました。
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産後の母親は、交通事故レベルのダメージを負っています。身体はボロボロで、睡眠も満足にとれず、ホルモンバランスも情緒も不安定な状態です。
そばにいる赤ちゃんは、自分では何一つできない命がけの要介護者。放っておけば命に関わります。
そんな中で、唯一無傷で動けるのが夫、つまり家庭内での貴重な戦力です。
もし自分が交通事故に遭ってベッドで動けない状況で、隣には命の危機がある家族がいたとして、もう一人の家族が「飲み会行ってくるね!」と言ったら……どう思いますか?
まさに、それと同じことなのです。
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子どもが生まれた男性を「お祝い」として飲み会に誘う――その行為自体には、悪意がないのかもしれません。
でも結果として、「家庭内唯一の健常な戦力」が家を空けることになります。
その瞬間、何が起きると思いますか?
家に残されるのは、要介護者である赤ちゃんと、産後の身体で限界ギリギリの母親。
つまり、「要介護者が要介護者の世話をする」という、崩壊寸前の状態が生まれてしまうのです。
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そして、もう一つ大事な視点があります。
本来、一番祝われるべきは母親であるはずです。
それなのに、現実には父親ばかりが「おめでとう」と言われ、母親は置いてけぼりにされてしまう。
その結果、祝福の名のもとに、母親だけが過剰な負担を押しつけられてしまうことになります。
それはお祝いではなく、むしろ構造的な無視、場合によっては暴力とすら言えるのではないでしょうか。
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だから私は、弟にこうアドバイスしました。
「飲み会はやめて、プレゼントはみんなでお金を出し合って“奥さんに”渡しなさい。カタログギフトでもいいから、ご本人が自分で選べる形にしてあげて。」
お祝いの気持ちはとても素敵です。でも、それが最大の功労者に届かなければ意味がありません。
「おめでとう」は、母親にもきちんと伝えてほしい。
いえ、むしろ母親にこそ、まっすぐに伝えるべきではないでしょうか。
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