先日、赤ちゃんを連れて外出していたとき、通りすがりの高齢女性が突然、我が子に手を伸ばしてきました。こちらが止める間もなく、ほんの一瞬で触れられ、びっくりして固まってしまっている間に、相手はじゃあねと去って行ってしまいました。
私はその後どう対応すべきか頭の中がぐるぐるしてしまいました。
こういうこと、ありませんか?
もちろん「かわいい!」という気持ちからだとはわかっています。実際そう声をかけながら触ってくる人もいます。
悪気はない、というのも分かります。でも、親として、そして人として、「嫌なものは嫌」なんです。
赤ちゃんにはまだ「やめて」と言う力がありません。だからこそ、大人が「触れていいか」を判断する必要があるはずなのに、まるで公共のマスコットのように扱われてしまう。特に、高齢女性に多い「つい触っちゃう」は、善意であっても境界を越えています。
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でも、「場の空気を壊したくない」自分もいる
その場で「やめてください」と言えれば良かった。でも私は、どうしても空気を壊すのが苦手です。
笑顔で済ませてしまって、後から自己嫌悪に襲われる。
「母親として駄目なんじゃないか」なんて、心の中で責めたりもします。
でも最近、こう思うようになりました。
「場の空気」より、「子どもの尊厳」こそ守るべきなんじゃないかと。
私たちは、子どもに「嫌なことは嫌と言っていい」と教えたいと思っているのに、目の前で「嫌」と言えない大人の姿を見せていたら、どう感じるでしょうか。
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日本の「身体の尊厳」って、どこかおかしい
少しズレますが、こういう話になると、思い出すのが日本の住宅設計。
なぜ脱衣場と洗面所が同じ空間にあるのでしょう。家族でも、異性と鉢合わせるのが嫌だと感じる人は多いはずなのに、それを前提に設計されていない。「不快に思う人の感覚」がまるで考慮されていない空間って、まだまだたくさんあります。
性被害の予防や、身体の境界線への配慮が足りないのは、そういう「日常の小さな無神経」が積み重なっているせいかもしれません。
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「声を上げる」は、わがままじゃない
赤ちゃんを勝手に触らないでほしい。
体に触れるときは確認してほしい。
プライバシーを大事にしてほしい。
これらは決して「神経質」なんかじゃない。
人として当たり前のことなんです。
そして、それを声に出すことは「空気を読めない」んじゃなくて、新しい空気を作るための一歩なんだと思います。