【コラム】「お兄ちゃんだから譲ってね」の一言が、ずっと心にわだかまる理由

「お兄ちゃんなんだから、我慢しなさい」「お姉ちゃんなんだから、譲ってあげて」
――この言葉、誰もが一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

私自身、ずっと「お姉ちゃんだから」と言われ続けて育ちました。
でも最近、子育てをする中で、あらためてその言葉の重さを考えるようになったのです。




■ 兄弟の上下関係は、一生変わらない

学校のように「上の学年・下の学年」がある場面では、年上が年下に譲る文化があります。
でもそれは、時間と共に自分も“譲られる側”から“譲る側”へと移り変わる仕組みだからこそ、成立するものです。

しかし、家庭の中の「兄」「弟」「姉」「妹」といった兄弟構成は、一生変わりません。
だから、「お兄ちゃんだから」と常に譲る役割を負わされた子は、ずっと「我慢する人」「譲る人」のままになってしまう。
これって、本当に公平と言えるでしょうか?




■ 思いやりは、“命令”ではなく“対話”から生まれる

「譲ってあげて」というのは、思いやりを教えるための言葉かもしれません。
でも、私は思います。思いやりって、押しつけて育つものじゃない。

例えば、兄弟でおもちゃの取り合いがあったとき。
「お兄ちゃんなんだから譲ってね」と言うのではなく、
「二人とも欲しいんだね。どうしたら喧嘩にならずに遊べるかな?」と問いかける。

そんなふうに、一緒に考える時間を持つことの方が、
子どもが“自分の気持ち”と“相手の気持ち”を同時に考える力を育てると思うのです。




■ 弟や妹にも“我慢する心”が必要

「小さい子が可哀想」と思う気持ちも、もちろん分かります。
でも、だからと言っていつも年上が譲る構図を続けていたら、
弟や妹は「譲ってもらって当然」という感覚を持って育ってしまうかもしれません。

うちでは、弟妹にも「お兄ちゃんが譲ってくれるかもしれない。でも、それは当たり前じゃないんだよ」ということを、
日常の中で伝えていきたいと思っています。




■ “不戦勝”は誰のためにもならない

時には、年齢差や発達段階の違いから、弟妹が自分の気持ちをうまく伝えられないこともあります。
そんなときは、大人が代弁してあげるのもひとつの手段です。
でも、それはあくまで“対等に話し合う場”を整えるためのサポートであって、
「お兄ちゃんだから譲ってね」と勝敗を決めてしまうものではないと思うのです。

年齢順で常に勝敗が決まる家庭は、弟妹にとっても健全な学びの場にはなりません。
その場の勝ち負けではなく、どうやって気持ちを伝え合うか、すり合わせるかを育てたいのです。




■ 最後に──親の言葉は、ずっと心に残るからこそ

私は、「お姉ちゃんだから」と言われて育ってきた子どもでした。
今、大人になって親になって、その言葉がどれほど深く心に残るかを実感しています。

だからこそ、自分の子どもには、
**「人と人としてどう向き合うか」**を大切にして育てたい。

誰かが“生まれた順番”で役割を背負わされるのではなく、
お互いの気持ちを大切にし合える家庭にしたい。

これは、今も昔も、親も子も、変わらずに持ちたい願いじゃないかなと思います。

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