【コラム】「いつも“ちょっとだけ遅かった”」──制度のはざまで生きた氷河期世代

私は氷河期世代ではない。けれど、ふと考えるたびに「この世代は、本当にしんどかっただろうな」と思わずにはいられない。

■氷河期世代とは

「就職氷河期世代」とは、概ね1970年頃から1982年頃までに生まれた世代を指す。
バブル崩壊(1991年頃)の後、企業の新卒採用が激減した1993年〜2005年頃にかけて就職活動の時期を迎えた人々だ。社会に出るスタート地点からつまずかされ、正社員としての雇用機会が乏しいまま非正規やアルバイトで職歴を積み、安定した生活を築くのが極めて困難な環境に置かれた。

ようやく景気が持ち直し、企業の雇用が回復する頃には30代半ば〜40代に差し掛かっており、「新卒扱い」ではもう拾ってもらえない年齢となっていた。

この「制度が整うのは、いつも自分たちの後」という経験は、就職だけでなく、その後の人生のあらゆる場面に繰り返し現れる。

■子育て支援は、いつも“あとから”

たとえば子育て支援の充実も、氷河期世代の子育てが一段落した後に本格化した。

保育料無償化(2019年〜)
 →氷河期世代は37〜49歳。すでに保育園卒園済みの家庭も多かった。

不妊治療の公的助成の全国拡充(2021年〜)、保険適用(2022年〜)
 →同世代は39〜52歳。妊娠可能年齢の終盤〜終了に差し掛かっていた。

父親の育休取得促進(改正育児・介護休業法の段階的施行:2022年・2023年〜)
 →氷河期世代男性の多くは子育ての一番大変な時期を終えていた。

制度の対象が「いま子育てをしている世代」に合わせて作られるのは当然かもしれない。だが、苦労の渦中にいたのは、まさにその制度が求められていた時期だった人たちだ。

■「育休退園」の地獄をくぐった世代

なかでも、子育て支援の“理不尽の象徴”といえるのが「育休退園」制度だろう。

これは、たとえば第二子出産で育休を取った母親が「就労していない」と見なされ、上の子が保育園を退園させられる制度。特に都市部や待機児童が多い地域では現実的な問題だった。

上の子:3歳児

下の子:生後0か月

母親:産後回復途中

この状態で、上の子が保育園を追い出されるとどうなるか。
昼夜問わず授乳と夜泣きに対応しながら、イヤイヤ期の幼児の相手をする。「静かにして」と言っても通じない。赤ちゃんが寝た瞬間に、上の子がかんしゃくを起こす。
**ワンオペで年齢差のあるきょうだいを抱える“地獄のような毎日”**が始まる。

ようやく保育園のありがたみが社会に浸透し、「育休退園は問題だ」とされ、2020年代に入り廃止・緩和の動きが広がった。けれど、制度を変えるまでに限界まで頑張ったのは、氷河期世代だった。

■児童手当・扶養控除:支援の網からこぼれた人たち

経済的支援も、同じように“間に合わなかった”。

児童手当の所得制限導入(2012年)
 →この頃、氷河期世代は30代前半〜40代。共働きで「所得制限を超えてしまった」家庭も多く、手当が受けられないまま子育てしていた。

年少扶養控除の廃止(2011年施行)
 →これにより16歳未満の子どもを扶養しても税負担が軽減されなくなった。代わりに児童手当を充実させるという方針だったが、上記のように所得制限で“どちらも恩恵がない”家庭が続出した。

「税の控除はなくなるが、代わりに手当を増やします」と言われても、「その手当がもらえない」家庭にとってはただの負担増だ。
氷河期世代はこのように、どの制度の「対象」にもならない中間層として、支援の“網の目”をすり抜けてきた。

■職場も家庭も、声を上げる余裕などなかった

さらに忘れてはならないのは、職場環境だ。

2000年代初頭、セクハラ・パワハラは「嫌なら辞めろ」の空気が支配していた。

育児中の早退や休暇取得も「迷惑」とされ、肩身の狭い思いをするしかなかった。

家庭では、父親が育児に参加しづらい時代。母親の「ワンオペ」が常態だった。

氷河期世代は、仕事の不安定さだけでなく、社会的支援の乏しさ、育児期の孤立、そして「声を上げても届かない」時代の空気と戦い続けてきた。

■そして未来──再び、支援から外される予感

今後、少子化や高齢化を理由に、「高齢者福祉はもう維持できない」と言われる時代が来るかもしれない。
そのとき現役引退を迎えるのもまた、氷河期世代だ。

若いころは支援がなかった。中年になっても取り残された。
そして高齢になったとき、「これからは若者を優先します」と言われるとしたら──
あまりにも、あまりにも報われない。

■「制度の谷間」を記録し、伝えること

制度が変わるのは時間がかかる。誰かの苦しみを経て、ようやく社会が気づき、政策が形になる。
それ自体は悪いことではない。だが、その「気づきの過程」で、どれだけの人が静かに傷つき、倒れていったのかを忘れてはならない。

氷河期世代は「ちょっとだけ遅かった」だけで、人生のあらゆる場面で支援から外れ続けた。
私たちがその声に耳を傾け、記憶し、語り継がなければ、同じことがまた繰り返されるだろう。

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