【対立する視点シリーズ③】
制度は誰のためにあるのか──個人責任論では救えない現実

妊娠・出産をめぐる問題は、女性か男性かといった二項対立では語りきれません。根本にあるのは、「制度が個人に過剰な責任を背負わせている」という構造的欠陥です。

Yahoo!ニュースの記事(47NEWS)では、妊娠・出産によるキャリアの断絶、経済的困窮、社会的孤立といった“出産罰”が女性に集中している現実が示されました。これは、制度が本来果たすべき「公平な負担の分配」「支援の提供」がなされていないことを意味します。

こうした制度の不備は、単に母親にとっての問題にとどまりません。たとえば、保育施設の不足や、父親の育児参加に対する社会的な抵抗、育休取得に対する企業の不寛容な文化など、男女双方にとって不利益を生み出しています。誰もが安心して性と向き合い、子育てと向き合える環境を整えるには、男女どちらか一方に責任を押しつける構造を解体する必要があります。

また、性教育の遅れは制度設計の失敗の一因です。学校現場では依然として避妊方法や性行為のリスクについて十分に教えられておらず、結果として若年層の無知が望まぬ妊娠に直結しています。これは女性だけの問題ではなく、教育政策、医療アクセス、家庭のコミュニケーションなど多層的な課題です。

さらに、経済的・地理的に支援にアクセスできない層(たとえば10代やDV被害者、シングルマザーなど)にとっては、制度そのものが「利用できない」形で存在していることも問題です。支援制度があっても、その存在が知られていない、あるいは利用のハードルが高い場合、それは支援とは言えません。

世界と比較しても、日本の制度は出遅れています。たとえばフランスでは、妊娠葛藤に悩む女性向けの24時間相談窓口が整備され、経済的支援や医療アクセスと連携した包括的サポートが行われています。スウェーデンやドイツでは、父親の養育義務がより強く法的に担保されており、出産後の生活支援も充実しています。

日本では、内密出産やベビーBOXの整備をめぐって議論が続いていますが、これは表面的な対処にすぎません。根本的には、支援が必要な場面で「使える制度」があること、そしてそれが周知され、利用しやすくなることが不可欠です。

「妊娠は誰の責任か」という問いに対して、単なる男女の意識の問題にとどまらず、制度設計、教育機会、支援体制の不足、社会文化の偏り──そうした多面的な背景を総合的に捉える視点が求められています。

妊娠や出産をめぐって誰かが追い詰められる社会は、誰にとっても安心できる社会とは言えません。制度を再設計し、リスクを社会全体で受け止める仕組みを作ること。それが、個人を責める前にすべき「大人の責任」なのではないでしょうか。

参考文献:

江原由美子『フェミニズムと女の子の社会学』(勁草書房)

赤川学『子どもを殺す親たち』(新曜社)

石井クンツ昌子ら「出産が女性の賃金に与える影響に関する研究」

杉山春『ルポ 産ませない社会』(ちくま新書)

国立社会保障・人口問題研究所『出生動向基本調査』

OECD “Family Database” 2023

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