【対立する視点シリーズ②】
「小学校の朝ごはん提供に賛成」──行政による支援は子どもを守るセーフティネット

学校での朝ごはん提供をめぐる議論において、「これは親の努力で解決すべき問題だ」とする声は一定の理解を得やすい主張ではあります。しかし、子どもにとっては「親の努力不足」や「家庭の事情」などはコントロール不可能な要因であり、そのしわ寄せを受けて朝食が取れないとしたら、それは明確な社会問題です。

特に現代は、「親ガチャ」という言葉に象徴されるように、家庭環境の格差が子どもの健康や学力、ひいては将来の選択肢に大きな影響を及ぼしています。親が子どもの生活に必要な最低限のケアを行えない状態──それが意図的であれ、不可抗力であれ──において、子どもが十分な食事を取れないという事実があるならば、それに介入するのは社会の責務です。

また、こうした公的支援に反対する立場の多くは、「何でも行政に頼るのは甘え」という言葉を投げかけがちですが、いざ低栄養で子どもが亡くなった、育児放棄で保護された、となったときには「国は何をしていたのか」「もっと早く支援の手を差し伸べるべきだった」と批判が噴出します。こうした矛盾した世論が行政を萎縮させ、結果的に誰も助けられなくなるのです。

さらに、現代の育児環境は一昔前とは異なり、親の「可処分エネルギー」はかつてのように家庭に向けられるほど残されていません。職場の人員削減、非正規雇用の不安定さ、サービス残業の蔓延などにより、働きながら育児をすること自体が非常に高負荷となっています。

子どもに必要なものがあるとき、それを提供できない親を責めるだけでは、子どもの現実は何も改善しません。公的支援は「親を甘やかす」のではなく、「子どもを見捨てない社会」を形づくる道具であるべきです。

参考文献:

厚生労働省「子どもの貧困対策に関する大綱」(2019)

宮本みち子『子どもを見捨てる国・支える国』岩波新書(2016)


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