もし、自分たちが少数派になったとき、価値観やルールはどうなるのでしょうか?
共存とは、多様性を受け入れること。でも、どこまでが“多様性”で、どこからが“上書き”なのでしょう?
移民の人口が増えるにつれて、「多数派の価値観」が変化し始める現象は、世界中で報告されています。例えば、ヨーロッパの都市部では、かつての文化的・宗教的な主流が変化し、地域のルールそのものが移民側の価値観によって塗り替えられるケースも起きています。
日本でも、同様の構造的懸念が少しずつ現実味を帯びてきました。外国人が地域に定住し、出生率の高さなどから子どもの数が増えれば、将来的に学校や地域社会の“主流派”が入れ替わる可能性があります。すると、これまで「少数派として受け入れる」としてきた側が、今度は「自分たちが新しいルールを作る」と主張し始めるかもしれません。
それは本当に“多様性”なのでしょうか?
たとえば、文化的背景の違いから、男女平等、宗教行事、制服の着用、学校行事への参加など、日本の教育現場で当然とされてきた慣習が、「不快だ」「信条に反する」として否定される場面も出てきています。
「大きな声を出せば通る」「数で押せば勝てる」といった価値観が浸透すると、論理や合意形成、制度による運営という日本社会の根幹が揺らぎかねません。
これは単なる“文化の違い”ではなく、「価値観の衝突」という、もっと根本的な問題なのです。
どんなに丁寧に制度を設計しても、「声の大きさ」や「人数の多さ」によって社会のルールが変わってしまうならば、秩序を支える土台そのものが崩れかねません。
■参考:
欧州連合報告書「移民と社会秩序の再編」(2019)
移民政策研究所(JII)『地域における外国人定住の影響』2020年版
#価値観の衝突 #文化と数の論理 #多様性と限界
【コラム】【移民と共存のリアル④】
「数が多い方が正義?」――文化と価値観の衝突がもたらすもの
