【コラム】「親が見ていればよかった」ではなく、「誰が預かっても安全に育てられる社会へ」

先日、広島県福山市の市立保育園で、1歳の園児が食事中に窒息し重度障害が残った件で、市が約2.7億円の賠償を支払うことで和解するという報道がありました。

このニュースには、SNSなどで以下のような声が多く見られます。

「そんなに高額な賠償金を認めたら保育士がいなくなる」

「1歳なら親が見ておくべきだったのでは?」


でも、私はそうは思いません。
そして、同じようにモヤモヤしている方もいるのではないでしょうか。




■ これは「親の責任」ではない

「預けなければ事故は起きなかった」は、確かにそうかもしれません。でもそれは、現代の社会や育児の現実を無視した暴論です。

いまや共働き家庭は当たり前で、保育園は生活を支える大切な社会インフラです。
親は「仕方なく」預けているのではなく、「安心して預けられること」を前提に働き、生きています。

今回の件で問われているのは、「1歳の子を預けたこと」ではなく、「安全に預かるべき保育の現場で、重大な事故が防げた可能性があるかどうか」です。




■ なぜ2.7億円という高額なのか?

この金額は「罰」ではなく、「補償」です。

事故により、子どもには重い後遺障害が残りました。
今後、何十年も介助が必要で、働くことも、普通の生活も難しいかもしれません。
その子と家族が生きていくために必要なお金を、将来分も含めて換算した結果です。

「保育士の責任が重すぎる」という声もありますが、責任が重いことと、事故時の補償をしないことは別問題です。




■ 本当に保育士がいなくなるのか?

いま保育士が減っているのは、責任が重すぎるからではなく、待遇と環境があまりに厳しすぎるからです。

・人手不足の中で多人数を見なければならない

・休憩も十分に取れない

・給料は国家資格のわりに低い

・事務作業や行事準備も過重

これで「事故を起こさないで」「賠償責任もあるかも」と言われれば、現場が疲弊するのも当然です。

つまり、保育士を守るために必要なのは「責任を免除する」ことではなく、「安全に働ける環境を整備すること」です。



■ 今、必要なのは「個人の責任追及」ではない

この事故から学ぶべきなのは、「親の責任」でも「保育士の過失」だけでもありません。
制度全体として、「子どもを預かる場を、誰もが安心して利用できる場所にすること」が求められています。

・保育園に十分な人員配置を

・安全対策・研修の徹底

・万が一の事故時に、保育士個人を守る制度(例:施設側が賠償責任を持つ)

・親と保育士、行政が信頼でつながる仕組み



■ 最後に

「親が見ていればよかった」なんて言葉で、誰かの人生の重さを軽んじる社会にはなりたくありません。

誰が育てても、どこで預けても、子どもが安全に過ごせる。
そんな社会を目指すことこそ、今回のような痛ましい事故から私たちができる「責任のとり方」だと思います。




■ 出典・参考文献

1. 毎日新聞「市立保育園で1歳窒息、広島・福山市、2.7億円支払いで和解へ」
https://news.yahoo.co.jp/articles/f42d2fe71e2bd4c3935773b9c867c6f9e53c3d76


2. 厚生労働省「保育士の処遇改善と保育の質向上に関する資料」
https://www.mhlw.go.jp/content/000737337.pdf


3. 日本保育協会「保育士の労働環境と待遇改善について」
https://www.hoikukyo.or.jp/outline/environment/


4. 「子どもの事故防止ガイドライン」(一般社団法人日本保育安全協会)
https://www.hoikusafety.or.jp/guideline


5. 「児童福祉法」(e-Gov法令検索)
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=323AC0000000048

タイトルとURLをコピーしました