外国人の親が一度日本で子どもを産むと、「子どもがいるから追い出せない」「子どもの未来を守るために親も滞在を認めるべき」という空気が強まり、もともと一時的な滞在のはずだった人が、期限を過ぎてもそのまま“居座る”ことができる――こうした状況は、本当に社会として健全と言えるのでしょうか?
「子どもが可哀想だから」という感情論が、制度の正当性を押し流してしまってはいないでしょうか。
実際、入管行政では、在留資格を失った外国人でも「子どもが日本にいるから」という理由で強制退去処分を免れる事例が多数報告されています。子どもに罪はない、守るべき存在だという考えは当然としても、それがいつの間にか「子どもさえいれば、大人も保護される」という現実的な抜け道として制度を歪めている可能性があります。
また、外国人家庭の出生率が日本人よりも高い地域では、短期間で地域の人口構成が大きく変化するケースも出ています。結果として学校では日本語を母語としない児童が増え、教育現場や行政サービスが対応しきれず、疲弊しています。地域の保健所、支援センター、保育所、学校といったあらゆる公共サービスが“対応しきれない現実”に直面しているのです。
それでも、制度上は「子どもがいれば出ていかなくていい」という状況が続くとすれば、誰も責任を取らず、地域住民だけが摩擦の火消し役を引き受ける構図が常態化します。
共存とは、お互いがルールを守ってこそ成立する関係です。子どもを盾にした既成事実化が進むならば、制度そのものが信頼を失う可能性すらあります。
■参考:
厚生労働省「外国人児童の就学状況調査」(2021)
朝日新聞「外国人家庭と学校現場」シリーズ(2023年)
法務省「子どもの権利と在留管理」関連資料
#子どもと移民 #制度の盲点 #共存の条件
【コラム】【移民と共存のリアル③】
子どもの権利を盾に“大人が居座る構図”は許されるのか?
