【対立する視点シリーズ②】
神谷代表「高齢女性は子どもを産めない」発言をどう考えるか(2)批判の立場から見る

◆公共の場で「断定」する言葉の重み

神谷宗幣代表が「高齢の女性は子どもを産めない」と発言したことに対して、まず問題視されたのは、一方的で断定的な表現です。

医学的に妊孕性が下がるのは事実ですが、現実には40代で出産している人もいますし、不妊治療に挑戦している人も多くいます。
そうした中で「産めない」と断定することは、当事者に対する精神的ダメージが大きく、配慮に欠けた発言だったと言わざるを得ません。




◆「女性の責任」として語られることへの違和感

妊娠出産には男女両方が必要です。それにもかかわらず、発言は女性だけに焦点を当てており、まるで「出産できない女性に責任がある」と暗に言っているようにも聞こえます。

本来であれば、

男性が早くから家庭を意識すること

男女両方が育児・キャリアのバランスを取れる環境整備

社会全体で子育てを支える仕組みの構築


といった視点も同時に語られるべきです。

ですが今回の発言には、「女性がもっと早く産むべきだ」という一方向のメッセージしか含まれていないように感じられました。




◆個人の努力や尊厳を否定する形になっていないか

高齢であっても出産を望み、不妊治療や仕事との両立をしながら懸命に努力している人たちはたくさんいます。

そのような人々にとって、「もう産めない」と公然と言われることは、非常に強い否定と痛みを伴います。

また、子どもを持たない・持てないという選択や事情を抱える人にとっても、この発言は**「あなたの人生は価値がない」と言われたように感じる危険**があります。

政治家という立場で、不特定多数に向けた演説でこのような表現を使うことは、あまりにも無神経だったのではないでしょうか。




◆私見:現実への問題提起なら、なぜ男性には触れなかったのか?

私は、社会の構造として「若いうちに産めない」環境があるという指摘には一定の理解があります。
けれども、それを**「女性の年齢」にだけ紐づけて語る構図には強い違和感**を覚えます。

出産には男性も関わりますし、社会の制度や雇用環境、周囲のサポートなど、すべてが影響する問題です。

それなのに、なぜ「男性の責任」「社会の変化」には触れず、「女性が早く産めばいい」といった方向にだけ言及したのか?
その問いに答えがないままでは、あの発言を問題提起とは呼べないと私は感じます。





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