小学生への朝ごはんの提供が学校で始まったというニュースに、多くの反響が寄せられています。この動きに対して、ある種の疑問を呈する声があるのも事実です。それは「親の責任をなぜ行政が肩代わりするのか」「子ども手当も支給されているのに、家庭で完結すべきではないのか」という考え方です。
確かに、朝食は「一日の始まり」を支える重要な栄養源であり、本来は家庭内で用意されるべき生活習慣の一部とされてきました。栄養バランスに優れた朝食を家庭で取らせることは、親が果たすべき最も基本的な育児責任のひとつといえるでしょう。時間がない中でも、例えばご飯にふりかけをかける、パンとヨーグルトを用意する、卵を焼くだけで十分な朝食になります。高価な食材を使わなくても、工夫次第で可能です。
また、子ども手当や各種補助制度も存在しており、家庭によってはそれらを受け取っていながら、朝食を用意できていないというケースに疑問を抱く人もいます。スマートフォンや娯楽にお金を使いながら、食事の優先度を下げている家庭が一部にあることも否定はできません。子どもに栄養が行き渡らない状況の背後に、「親の価値観の偏り」や「生活の優先順位の誤り」があるなら、それはやはり大人の責任ではないでしょうか。
もちろん、全家庭を一括りにはできませんが、行政の役割が肥大化することに対する懸念は根強く存在します。親の役割と責任を社会全体で代替する構図が進めば、子育ての本質が「外注化」され、家庭の中の教育力がますます低下してしまうのではないかという危惧もあるのです。
参考文献:
文部科学省「家庭教育支援の手引き」(2018)
舟橋惠子『子どもは家庭で育てるべきか?』中央法規(2014)
#家庭教育 #親の責任 #行政の役割 #朝ごはん提供
【対立する視点シリーズ①】
「行政が小学校で朝ごはん提供?親の責任では?」──家庭教育の自助努力を問う
