「最近の人は昔より労働時間が短いのに疲れたとか、体調を崩したとか言っていて、甘えじゃないか」 そういった声を聞くことがあります。
確かに、統計上では労働時間はかつてより減っている傾向にあります。 ですが、それと引き換えに、「仕事の質」と「一人あたりの負荷」は劇的に上がっているという事実を、私たちはもっと丁寧に考えるべきではないでしょうか。
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■労働の「質」が変わった
まず大きな変化は、人員の減少と業務の複雑化です。 「3人で回していた仕事を今は1人で」「昔は補助職がいたのに、今は全部自分でやる」——そうした職場は珍しくありません。
また、単純労働はどんどん機械に置き換えられてきました。その結果、人間にしかできない仕事が中心になっています。たとえば以下のような業務です:
・複数のタスクを同時にこなすマルチタスク
・顧客や取引先とのコミュニケーション
・判断・調整・報告などの認知的・感情的作業
・新しい業務手順やツールのキャッチアップ
つまり、「やることは減っていないのに、人は減り、仕事の難易度だけが上がっている」状態なのです。
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■小学生の問題集と大学入試の問題集の違い
これをわかりやすく例えるならば、昔の仕事は小学生の問題集を休み休み解いていたようなものだったのに対して、今の仕事は高校や大学入試の問題集を朝から晩まで休まずに解き続けているようなものです。
もちろん、どちらも「机に向かっている」という点では同じように見えるかもしれません。しかし、必要とされる集中力や認知負荷、そしてそれに伴う疲労感は全く違います。
長時間肉体を動かす疲れとは違い、長時間思考を強いられる疲れは静かに、しかし確実に人を消耗させます。集中力が切れても、業務は止められない。判断ミスは命取り。こうした環境にいれば、例え労働時間が短くても「もう無理だ」と感じるのは、自然なことなのです。
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■それでもなお、家庭も完璧に回せという社会
こうした重い労働の後に、さらに課されるのが「家庭責任」です。 つまり、育児・家事・介護などをしっかりこなすことも求められるのです。
でも考えてみてください。 仕事で朝から晩まで複雑な判断・感情労働・高度な調整を続けてきた人が、 クタクタの状態で家に帰って、なお「笑顔で子どもに向き合う」「家族の食事を整える」「親の介護をする」ことが可能でしょうか?
できるわけがありません。 むしろ、「少しでも静かにさせてほしい」「もう考えることはしたくない」となるのが、自然な人間の反応です。
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■無理ゲーだから、誰もやりたがらない
それでも社会は、「やり方次第で両立できる」「努力すればどうにかなる」「制度もある」と言います。 ですが、それは言い換えれば、
人間の可処分エネルギー(時間、体力、精神力)を無視した、非現実的な設計の中で“完璧を求める”ゲーム
です。つまり、「無理ゲー」です。
そして、それに気づいた若い世代が、「このゲームには参加しない」と考えるようになったとしても、それは極めて合理的な選択です。
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■だから、少子化するのではないでしょうか
このような社会で、「子どもを持とう」「2人目を産もう」と思えるでしょうか?
・自分の体力も時間も精神力も残っていない
・生活コストは上がり続け、将来は不透明
・社会的サポートは「ある」と言われても、実際には使いにくい
・仕事も家事も完璧にこなせと言われ、できなければ責められる
そんな状態で、「次世代を育てる」という重たい責任を引き受けることは、人として自然な選択ではなくなってしまっています。
「疲れ切った自分が、子どもと接する余裕なんてない」 そういう実感が、少子化の本質的な原因のひとつではないでしょうか。
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■解決には、「人が生きられる社会」の再設計が必要です
これは個人の努力ではどうにもなりません。構造の問題だからです。
解決の方向性は、以下のような社会設計の見直しにあります:
・育児・介護・家事などを家庭に押しつけず、社会全体で支える制度を本当に使える形で整備すること
・労働の高度化に見合う対価と余裕(時間・人員)を設計すること
・働きながら生活を両立できるような、柔軟で支援型の労働環境を整えること
・そして、私たち一人ひとりが、「両立できないのは私のせいじゃない」と声に出すこと
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■最後に
仕事の負荷は昔より軽くなったのではなく、「目に見えにくく、でも確実に重くなっている」という事実。 そして、それと家庭責任の両立を求められる今の社会は、「そもそも無理がある」という現実。 この構造を見て見ぬふりして「甘え」と切って捨てることは、未来を削ることにつながります。
人間が、人間として生活できること。 その上で子どもを育て、人生を築いていけるような社会を、そろそろ本気で設計し直すべき時が来ているのではないでしょうか。
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参考資料:
OECD「Real Wages & Productivity Gap」(2023)
厚生労働省『仕事と育児の両立に関する実態調査』
日本労働研究雑誌『感情労働と精神的疲労の構造』(2019)
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【構造から考えるシリーズ】「昔より労働時間が短くなっているのに疲れるのはなぜ?──質の重労働社会と、無理ゲー化する人生設計」
