妊娠は女性ひとりの責任ではありません。性行為は男女が同意して行うものであり、妊娠に至るには男性側の「行為」も「精子」も不可欠です。それなのに、なぜ妊娠後のすべての責任が女性だけに押しつけられるのでしょうか。
男性は妊娠・出産の肉体的リスクを負うことはなく、妊娠が判明した途端に「関係ない」「金を払ったから終わり」と言い逃れることも可能です。日本の法制度では、父親が認知しない限り、養育義務を負わせるのが難しい状況が続いています。女性がどれだけ苦しい状況にあっても、男性が責任を回避できる抜け道はあまりに多すぎます。
2024年の赤ちゃん遺棄事件においても、少女が出産した背景には、家庭からの支援の欠如、相手男性の不在、制度へのアクセスの困難さがありました。にもかかわらず、社会の非難は彼女ひとりに集中しました。相手の男性はどこにいたのでしょうか? なぜ責任を問われなかったのでしょうか?
性行為は“快楽の共有”であると同時に、“責任の共有”でもあるはずです。避妊の主体が女性だけにされている現状も問題ですし、「女が気をつければ妊娠しない」という前提そのものが、教育の不備とジェンダーバイアスに基づいた思い込みにすぎません。
本来、責任は男女平等であるべきであり、女性だけに重いリスクと義務を負わせる構造そのものが見直される必要があります。
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【対立する視点シリーズ②】
男性・社会の責任は?──妊娠は“二人の行為”という当たり前を問う
