新幹線のグリーン車で、赤ちゃんが泣いたことをめぐって賛否が起きました。
「せっかくグリーン車なのに、静かに過ごせないのは困る」という声もあれば、「赤ちゃんが泣くのは当然なのに、そんな言い方は冷たい」という声もあります。
私はこの議論を見ていて、「車内では静かに」というマナーの前提自体に、違和感を覚えました。
それは、“静かにできる大人だけ”を想定して作られたマナーだからです。
もちろん、公共の場で他人に迷惑をかけない努力は大切です。
しかし、「静かにできる人が正しい」「できない人はマナー違反」と決めつけるのは、あまりにも一方的ではないでしょうか。
泣く赤ちゃんや、発達特性のある子ども、感覚過敏の人など、「静かにできない事情を抱える人」も社会にはたくさんいます。
それを想定していないマナーは、共生ではなく排除になってしまいます。
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一部では、「高級レストランでは子どもお断りのところもあるのだから、グリーン車に子どもを乗せるのはマナー違反だ」という意見も見かけます。
けれど、それは少し違うと思います。
高級レストランの場合、「未就学児お断り」などのルールは最初から明示されています。
しかし、グリーン車は“静けさを期待できる空間”であっても、“子どもを乗せてはいけない空間”ではありません。
つまりそれは、制度ではなく、「そうあってほしい」という個人の感想にすぎないのです。
自分が「子どもを連れてグリーン車を利用しない」と選ぶのは自由です。
しかし、それを他人にまで強制することはできません。
なぜなら、新幹線や在来線は「移動手段」であり、「嗜好施設」ではないからです。
レストランは“行かない”という選択ができますが、移動は“しない”では済まない。
家族での帰省、通院、引っ越し、冠婚葬祭など、どうしても長距離を移動せざるを得ない事情があります。
だからこそ、「子どもお断り」にするには、感情論ではなく客観的に合理的な理由が求められるのです。
この視点を踏まえると、やはり必要なのは「排除」ではなく「設計の見直し」だと思います。
子ども連れが利用しやすく、周囲の人も安心できるように、座席配置・案内・サービスのあり方をもう一度考えること。
マナーという“人の意識”だけに頼るのではなく、仕組みそのものをアップデートすることが、これからの公共空間に求められていると感じます。
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私はこの問題に、男女の働き方をめぐる社会のルールづくりと同じ構造を感じます。
日本では長いあいだ、政治も企業も男性中心で動いてきました。
「体調管理も仕事のうち」「休むのは甘え」といった価値観は、男性の体を基準にしたルールです。
そこに、生理や妊娠、出産、更年期といった女性の体のサイクルは含まれていません。
つまり、「体調を崩さない人」だけを想定して作られた社会のルールなのです。
でも、本来のルールやマナーというのは、「できる人」だけを前提にしてはいけないはずです。
赤ちゃんを育てる人、障害を持つ人、年を重ねて体調が変化する人。
誰もがいつか「できない側」になる可能性があります。
だからこそ、みんなが安心して使えるように、ルールやマナーは**“みんなで作り直す”**必要があるのだと思います。
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社会の「当たり前」は、いつも誰かの視点で作られてきました。
そして、そこからこぼれ落ちた人たちが「例外」と呼ばれてきました。
けれど、もう“例外扱い”する時代ではありません。
静かにできる人も、できない人も、泣く赤ちゃんも、みんなで同じ車両に乗れるように。
それぞれの事情を前提にしたマナーと仕組みを、これからは一緒に考えていくべきだと思います。
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参考文献・参考記事
Merkmal(2025年10月)「『グリーン車なのにギャン泣き』芸能人投稿が新幹線『赤ちゃん泣き声問題』に」
https://news.yahoo.co.jp/articles/d091ed8e3058ceb1eb2314f2679258116fe2870c
内閣府 男女共同参画白書(令和6年版)
上野千鶴子『女の子はどう生きるか』(岩波ジュニア新書, 2018)
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